おばあちゃん、ありがとう。また逢う日まで。

エッセイ

先日、祖母が他界しました。

数えで99歳

生命力が強くてたくましい一方で

周囲の人から愛される

可愛らしいおばあちゃんでした。

 

大正生まれなので、

大正 → 昭和 → 平成 → 令和

4つの時代を生きたことになります。

令和は、1ヶ月も経たないうちに旅立ってしまいましたが。

 

生まれ育った島は、最近になって世界遺産に登録された地域。

美しい海、山に囲まれ

新鮮なお魚が当たり前のようにあって

お米も田んぼで育てていたし

畑で野菜を栽培して、収穫して食べられる環境。

養鶏場もあったり牛も育てている地域なので

地元で採れるものがたくさんありました。

 

山を走り回るイノシシがいたりするけど、

畑を荒らすので、増えすぎた時は狩りをして

ぼたん鍋にしていたそう。

今でいうジビエ料理の先駆けです。

 

戦後は食糧がかなり限られていて

家族や、7人の子どもたち(わたしの母も含む)を食べさせるのにかなり苦労した時期もあったそうです。

幸い畑があったので、さつまいもを育てて食料にして、しのいでいたそう。

祖母は、自分たちの生活が苦しくても、もっと困っている親戚や近所の人にも芋を分けてあげていたそうで

葬儀の時に、それが判明しました。

「昔、貧しかった時に食糧分けてもらったんだよ」って

参列した知り合いが話してくれたそうです。

 

ここ20年くらいは

心筋梗塞で心臓が止まって

何度も救急車で運ばれては

復活して戻ってきたり(!)

 

脳梗塞で倒れて

救急車で運ばれては

また復活して戻ってきたり(!)

もうね、何回心臓止まったか分かりません。脳梗塞も結構な回数だった。

 

ある時は大腿骨を骨折して、

そのまま車椅子生活になってしまうかもって心配している回りをよそに

退院したその日から

歩きたい!と言って

勝手に自力でリハビリを始めてまた歩けるようになったり

びっくりするぐらい

倒れてからのリカバリーがすごくて。

 

 

もともとの生命力が強いのもあるけど

海に囲まれて育った環境が良かったのかもしれない。

新鮮なお魚をずっと食べているから

血液はサラサラできれいだし

高血圧だったけど、でもそれくらいで。

 

だから今回、入院したって聞いたときも

ほんとうはすごく気がかりだったけど

(直感で感じるものがあったから)

 

また少ししたらいつもみたいに退院するよね。

ゆっくり休んで回復してねーって願ってた。

 

結局、旅立ってしまったけれど。。。

 

祖母が入院中、庭に咲いた芍薬の花

 

亡くなる前の写真を見せてもらったら

今年の春、お花見に行って楽しそうにしているところや

大好きな、蒸したさつまいもを頬張って

目尻が下がるほど嬉しそうにしている写真があった。

(この年齢で、自分の歯で食べていたのがすごい。)

 

 

入院直前まで、元気で楽しそうだった様子や

周りの人に大切にしてもらっていた様子を聞けたのが、せめてもの救い。

 

 

東京から行く場合、移動が1日がかりで

軽く海外旅行に行くレベルだから

(お盆やお正月などのピーク時だと、時間も値段的にもハワイに行くのとあまり変わらない)

 

時間も交通費もかかるので、これまで気軽には帰省できなかった。

 

自慢したい訳ではないが、今回の入院の時には

航空券代とか滞在費、お金のことは気にしなくていいから

おばあちゃんに会ってきて。

それで、たくさん話しかけてね。少しでも一緒にいてね。

親にそう言えるようになったのが、自分の中ではわずかな救いだった。

 

 

スピリチュアル的に言うならば

人は、今世での課題や役割が終わったタイミングで「死」を迎えます。

そして周りの人に学びを残し、去っていくものなのです。

肉体からは離れますが、魂は生きています。

ご縁があればまた、必ず巡りあえます。

 

 

側から見てもわかるほどに母が悲しんでいた時期は

わたしにはまだ少しだけ、リアリティがなかったかもしれない。

けれど

母が少し元気になってきた頃、急に悲しみが沸きあがってきた。

 

分かっていたことではあるけれど、やはり淋しいものです。

 

おばあちゃんありがとう。

 

貴女のように

優しく、強く逞しく生きていきます。

 

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